ポエトリー『あれれ』

死刑を言い渡されたソクラテスが、毒を飲まされるその刑の執行までの間、詩を作っていたらしい。文筆されたものを残さなかったソクラテスだから、どんな詩を残したのか、たぶん人類は知らないんじゃないかと思うのだけれど・・僕が知らないだけなのかもしれないけれど。

 

死を前にした詩の制作はは、ソクラテスにとってその人生のカタルシス(浄化)そのものだったのだろう、と思う。

 

思う、というか、プラトンの『パイドン』のなかで、ソクラテスがそんな感じのことを喋ってた。

 

僕も、いつその時がくるのかわからないから、その時までに少しは自分をきれいにしておこうかな・・そう思ってる歳頃だ。

 

そういえば、1994年あたり、だったかな。新宿の駅に、東口からその構内に入ったばかりのところに詩集売りが立ってて、その人は女性だったのだけれど・・

 

(あ、俺もやりたい)ってその時思った。

 

そしてその2年後ぐらいだったか、持ってたワープロ専用機、富士通オアシス、買ったとき池袋のビックカメラで一番安かったやつ、それを叩いて詩を作り、プリントし、ファミリーマートでコピーしてホッチキスで止めた詩集を作った。

 

コピー用紙の詩集は、コピー用紙を8枚重ねたものだったので、コピー1枚10円×8枚で1部80円の値をつけた。

 

車で新宿に向かい、靖国通りに路駐して、大ガードの下で詩集を売り始めた。すぐに売れると思った。

 

全く売れなかった。自分はここに存在していないような疎外感だった。

 

知り合いが、僕の前を通り過ぎようとした。僕に気づいた。知り合いは、見てはいけないものを見てしまったかの顔をした。そして悲しそうに僕から離れていった。僕はなにか、悪いことをしていたのだろうか。

 

多分、10部くらい作って持って行ってたんだと思う。

そして売れたのは1部だった。1部で十分(じゅうぶん)だった。

 

(売れた・・)という実感は、消えないものだ。

 

疎外感は、その「売れた実感」に至る前振りだったのだ。

 

で・・・YouTubeに上げた詩、です。

 

www.youtube.com

 

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『あれれ』

 

長い足場用のパイプを2本

肩に担ぐ僕の頭上に・・

 

そこはどこかの建築現場

まだ骨組みだけの鉄骨の

高い建物の脇を

足場パイプを担いで歩く僕

 

ふと上空

何気なく見上げたら4本の

短い足場パイプがバラバラと

音を立てずに僕の頭上めがけて

 

ヘルメットを被ってない僕の頭は

ヘルメットを被っていても

ひとたまりもなくなるであろう

頭上からの凶器を

 

僕は間一髪

かわすことができたのだけれど

 

「危なかった」

と安堵でにやける僕

 

その僕を

僕は見ている

 

僕が僕を

見ていた

 

にやけた僕を見ている僕

僕に見られるにやけた僕

にやけた僕が

切り替わった

僕の足元に倒れるうつぶせの僕に

切り替わった

倒れた僕の左頭頂部から

ぶちまけたような血の絵の具

 

動かなくなった僕を見て

 

(当たったんだ)

 

僕は思った

 

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