現実的なものは理性的である
理性的なものは現実的である
・・このヘーゲルの言葉に救われたことがあった
ボロボロだった。
自分のなかに、なんにもなくなっていた。
そんな自分から、次の自分にいく術もなく・・
ただ苦しんでいた。
救われたくて・・教会に、懺悔でもしにいけば、なにか変わるんじゃないか・・そう思って・・とりあえす三浦綾子の自伝小説を読んだ・・
読みながら・・キリスト教の、この宗教世界に生きるには、僕には欲望が多すぎて、とても無理だ・・そう思った・・こんなきれいな生き方はできない・・そう思った・・でも、きれいになんなきゃいけないのかな・・
三浦綾子の宗教世界は、その時の僕にとっては、すがるべきもの、掴むべき藁、としては、厳しい・・そう思った・・思いながら・・でも、ただ、ひたすらに救われたかった。
本棚に、中公新書の「ヘーゲル入門」があった・・人からもらい受けて、そのまんま本棚に並べていただけだった、その本を、読み始めた。
現実的なものは理性的である
理性的なものは現実的である
・・神の摂理・・
救われたい今の自分の現実・・これも、神の摂理か・・神=理性が生み出したものか・・
じゃあ、しゃあねえ・・
これでいいんだ・・
今の自分で、いいんだ・・
救われようが救われまいが・・今の自分で、いいんだ・・
そう思えて、救われた。
それで・・徹底的に、今の自分に居直ることにしたのが・・四半世紀を超えた昔のこと・・
です。