夏タイヤに、今日は履き替えようかな・・
今期のスタッドレス・・雪の朝に、女房を職場まで送った・・ご活躍な感じは、その朝だけ、だった。
僅かだった雪の白・・冬の白は、雪と餅・・
餅・・餅もわずかな今期、だったな。
僕が幼かった、とある冬の日、住んでた家の玄関で、祖母(父方)が七輪に炭火を熾して網の上でかき餅を焼いていた。なにやってるんだろ・・そう思いながらそこに立ち止まった僕は、その様子をじっと見ていた。
焼きあがったかき餅に、祖母は醤油を垂らし、僕に食べさせた。うまかった。それまでかき餅、食べたことはあったのかも知れないけれど、生まれて初めて食べたかのうまさだった。市販のものとは、まったく別物、そう感じたのだと思う。
年の瀬あたりに毎年親戚からいただく、搗(つ)いて間もない餅がいつしか乾燥して、表面には青や白の黴がところどころに付着し・・
その餅を砕いたものを、祖母は無言で焼いていた。
祖母の夫、つまりは僕にとっての祖父が他界してから何年か経ったある冬の日の、玄関の、一人かき餅を焼く祖母、だった。
僕は祖父の記憶はあまりない。ほとんど、ない。記憶にあるのは畳の上に敷かれた布団に寝たきりの祖父だ。
「じいちゃんのところに行ってこよ」
独り言な感じで、母にそう告げて、僕は寝ている祖父の部屋に行き、そして寝ている祖父の横に、ただ、座った。日課のように。
そして、寝ている祖父を、ただ、見ていた。
祖父は僕に気づくと目を開けた。横に座る僕に、祖父は話しかけた。
意味の成立しない、うわごとのような・・そんな祖父の声、だった。
その祖父に、僕は「バーカ、バーカ」と返した。祖父は動かない身体を、それでも必死に、上体を起こそうとしているかのようにして、僕に怒りを表していた。
祖父への想い出は、そんな、自分が悲しく、やるせない記憶、だけ。
後々、伯母から(僕がかなり成人してから)聞かされたのだけれど・・家での葬儀を終え、祖父の身体が納められた棺が霊柩車に運ばれた、その出棺の時・・僕は霊柩車にしがみつき、「じんちゃんを連れていくな!」と、大泣きしながら叫んでいたらしい。その僕の叫びが、集った人たちの涙を誘っていたらしい。
その話を伯母から聞かされて、祖父との想い出に、自分が悲しくやるせない記憶しかない僕は、少し救われた。
・・そう・・で、なんか・・僕・・僕が、人から馬鹿にされたまま、今世の幕を閉じることになったとしたら・・それでいいかな、と思う。
⇩ 東長崎は今日も曇りだった