人は洗剤で、だいたいの人が洗濯をする。汚れと衣類を分離するためだ。分離された汚れは水とともに排水溝から流れていく。洗剤が剝ぎ取られた衣類はきれいだが、その「きれい」は汚れる可能性を持った「きれい」なのだ。
きれいな衣類は汚れることを求めながら、箪笥の中にしまわれている。
きれいな衣類は自ら汚れることができない。
人は自ら汚れることができる。じっとしてても汗が出て、臭いに覆われる。
もう、何年前になるのだろう・・現在、高層マンションの建設を巡って、その建設予定地に住む住民が、このマンション建設に合意して後、建設されたマンションに居住することにすべきか否か、悩んでいる、そんな悩みの地となってる東京中野で・・もう何年前になるのか・・
中野駅・・今、マンション建設でもめているその悩みの地への方向とは逆の出口を抜けて、僕はその時、線路伝いの道の歩道を新宿方面に歩いていた。季節はなんだったのか、覚えていないのだけれど、時刻は夕方、日暮れ時だった。
中野は新宿より西にあるから新宿方面は方位として東にあることになる。だから僕は東に向かって歩いていたことになる。その線路沿いの道は坂道で、だから僕は、東に向かって上っていたことになる。
坂を上る僕が視線を空に移すと、きれいな星が夕方の東の空にひとつ。
きれいだな、と思った。金星だ、と思った。
金星であるわけがないのに。
金星はいわゆる内惑星で、地球よりも太陽に近い位置で太陽を公転しているから、夕方の西の太陽からあまりにも離れた東の空に、その時いることはない・・のだけれど・・でも、その時僕は、金星、きれいだな、と思ったから、あの星はあの時、僕にとって金星であったことに間違いはない。
もしかしたら、坂を上がりつつ、ふと西に僕は振り向いたのかもしれない。だから、やっぱり金星はあの時の僕にとっても、ちゃんと西の空に貼り付いていたのかもしれない。
ただ・・西でも東でも、どっちでもいいのだ。どっちの空にいたにせよ、あの星は僕にとって、きれいだった。
あの時たまたま、金星は出る場所を間違えてしまっていたのかもしれない。
今現在、金星は太陽からの円弧距離32度のところで太陽を追っていて・・今日はたぶん、ちゃんと、沈む太陽と付かず離れずのところで、きれいに夕方、輝くんだろう。
昨日僕は、シャワーを浴びていないから、今の僕は汗に汚れ、臭いに覆われている。金星はきれいで、きっときれいな衣類と同じで、汚れることを求めながらも自ら汚れることができない。だから僕は、僕で金星を汚してあげたい。
けど・・やっぱり、シャワー、浴びてこよ。