昨日、テーブルの上に皿。
皿には豆を抜かれた枝豆のさやがてんこ盛り。僕が知らない間に、枝豆は完食されていた。
僕の家の道を挟んだ向かいは畑で、その畑の持ち主さんが、昨日枝豆を届けてくれたらしい。おそらく女房は、その枝豆を早速ゆでてテーブルに出し、子供たちと食べたのだろう。
大量のさやを見て、僕は子供と女房の胃のなかに収まってる豆がまだ、さやに包まれていた状態を思い浮かべた。そして、それを食べた。
畑の持ち主さんは、これまでも何度か、枝豆を届けてくれている。その、以前に届けてくれたものを食べたときと、想像のなかで食べた枝豆は、同じ味だった。
ごちそうさまでした。
昔、よく使っていた蕨駅、その駅の近く、線路沿いに、古本屋があった。小さな古本屋だった。その時僕は、お腹がすいていた。心も干からびていた。生きる希望など全くなく、でも、希望を探すかのように、その古本屋で書棚を眺めていた。
店の人は年配の女性だった。その時の僕は年齢的に若かったから、その女性に年配、という印象を持ったけれど‥今の僕ならば、その時のその女性を、年配と感じるのかどうか、わからない。今の僕より若い人だったのかもしれない。若い女性、と感じるのかもしれない。
僕がその古本屋に入ったとき、店の中は僕と、お店の女性の二人っきりだったのだけれど・・店のなじみのお客さんなのか、店の女性の友人なのか・・店の女性と同年代な感じの女性が一人、店に入ってきて、店の女性と女性同士の話を始めた。僕は書棚を眺めながら、二人の会話を聞いていた。
二人の会話で、言葉を発し続けていたのはもっぱら、店の女性だった。
「午前中にね、男の人が本をたくさん持ってきたのよ。買い取ってくれって。でも、値が付かない本なのよ。でもね、せっかく持ってきたから、一冊50円で、って言ってあげたのよ。そしたらその人、『じゃあ、いいです』って言って、いなくなったのよ。そしたら午後に、またその人、本を持ってきたの。ほかの店に行ったら一冊10円って言われたから、やっぱりここで買い取ってもらうことにした、って言うの」
「そうなの」
「値段の付かない本なのよ。買い取っても仕方のない本なの。買い取ったらこっちが赤字なの。それでもせっかく持ってきたから、一冊50円って言ってあげたの。それを断って、他の店に行って、そこで10円って言われたからまたここに来られても」
「そうよね」
「あたし、買い取り断ったわ」
「そうよね」
その時、外は夕方で、曇った空がどんどん暗くなっていた。店の外は灰色で、僕の心も灰色で、でも、店の人ともう一人の女性のその会話に、僕は「世間」という灯りを感じていた。
普通に世間を生きたくなっていた。多分、僕の心は、普通の世間から隔絶したところにいたんだと思う。
メーテルリンクの「青い鳥」
書棚にあった、少年少女向けシリーズの中の一冊、な感じの体裁の本。
続いている二人の話をBGMに、僕は「青い鳥」を書棚から抜いて、ページを開いた。
・・・うろ覚えの記憶によれば、
《・・雪降るクリスマスイブの夜、窓越しに見える隣家の部屋の灯り。灯りに照らされたテーブルには七面鳥やらなにやらの、ごちそうがたくさん。それをずっと眺めてるチルチルとミチル。
「お兄ちゃん、お腹が減ったよ」とミチル。
「僕たちは、あのごちそうを食べることはできないけれど、見ることはできるんだよ」とチルチル・・》
枝豆・・食べることはできなかったけれど僕は、でも食べることができた。
ずっと僕は、チルチルミチル。