コロナで随分、世界は止まったけれど・・
それまでの歯車がかみ合わなくなった、っていう感じで、止まった、けれど・・
じゃあ、それまでの世界が動いていたのかっていえば・・ある意味そうとは言えない。
世界は止まってる。止まっていた。その事実が現象化したまで、とは言える。
コロナで経済は止まり、人の動きは止まり・・
人は動くための歯車を新たに自分に拵えて、かろうじて動いている自分を感じていても・・
実は、止まっているのだ。止まったままなのだ。
古風な経済学にのっとれば、資本主義は、恐慌に対しては技術革新によって命脈を保つ、とされていて、
確かに、今回のコロナ恐慌に対しては、「経済」という意味での人同士の関係性、それをつなぐ歯車をITが担い、失われた関係媒体は、変容しつつも存在し続けている。部分でなく、社会総体としてみれば、だが。
社会総体としてみれば、この社会は、動いている。かみ合っている。人同士が。
でも、それは人同士、という側面にすぎなくて、その側面は、平面にすぎない。
平面は動いている、かもしれない・・人と人、二者間、その延長としての社会は、動いている。
しかし・・コロナ以前も現在も、人類、止まったままだ。
・・と思った、です。