不安に怯える、その過剰性。

大宮・・路上占いに、最近出ていない・・なぜか・・朝が早く、夜も、早く寝てしまう生活に、最近、僕はなっているから、です。夜中に大宮・・だから最近、出ていない。

 

コロナ状況下で、今年の春以降、路上に出ない日が、ずっと続いていたりしたのだけれど・・ようやく、コンスタントな感じで、出始めるか・・そういう感じになってはいたのだけれど・・

 

どうも・・夜明け前に目が覚め・・日が沈むと・・一日の終りを感じる体になっている・・家族の中で、誰よりも早く布団に入ってしまう。

 

この生活習慣は、僕が自分に望む「健康」に、体が応えてくれているから、なんだろう・・体が・・体、っていうより、正確には、体に入り込みつつ体を包んでいる「生命体」が・・「エーテル体」とも言われるが。

 

大宮・・出てないけれど・・出ると・・一生懸命な人がいて・・

 

ビラを配って・・っていうか、ビラ、持ってるけれど、配っている感じではないが・・

 

で、ずっと、喋ってる・・訴えてる、っていうのかな・・

 

訴えながら、ビラを配っている人・・配る所作は見受けられず、ビラを持ってるだけ、な感じだけれど・・

 

仏教系の新興宗教団体の人、なのだけれど・・一人で頑張ってる・・多分、毎夜、いらっしゃるんじゃないのかな。

 

「南無妙法蓮華経を唱えれば、南無妙法蓮華経を唱えるだけで、生きている間だけでなく、死んでからも、人間は幸せになるんです」みたいな感じのことを、繰り返していらっしゃる・・頑張っているな、ってすごく、思います。

 

僕は、大宮に出ると、その人と、距離にして8メートルぐらい?のところに机を出して座っているのだけれど・・

 

そう・・僕は特定の宗教に入れ込むって感じの人間ではなくて・・実家は真言宗智山派のお寺の檀家で・・それが僕の心に作用しているのか、はたまた・・ではあるけれど・・空海・・弘法大師は、好き・・真言密教は、好き・・

 

おろそかにすることもあるけれど・・日に、短い時間であっても、瞑想することは心がけていて・・いつも、ではないけれど・・瞑想中、密教系の真言(マントラ)唱えたりもします。

 

だからと言って・・僕は、他の宗教に、帰依したりしている人に、あなたのその宗教心は、間違ってますよ、とかは、全然思わない・・思う必要がない・・

 

南無妙法蓮華経の「題目」も、南無阿弥陀仏の「念仏」も、言霊としての力があると思います・・ただ・・

 

「題目」さえ唱えれば・・とか、「念仏」さえ唱えれば・・

 

それは、逆説的に「題目」唱えないと不幸になる・・とか、そういうのを暗示していることになって・・いわゆる「題目教」としての他宗教他宗派への排他性が、その「宗教・宗派」の気質として滲みでている、っていうのは、とっても伺える・・

 

ま、それは・・よく言われることではあるけれど・・

 

で・・問題なのは・・それでも、そういう宗教・宗派に、しがみつくのは、その人個人の問題だから、いいのかもしれないけれど・・

 

排他的な宗教・・そこで頑張れば頑張るほど・・「徳」とは言えないカルマを積むことになる・・

 

たとえば・・心気症・・最近では、病気不安症って言うらしいけれど・・

 

少しの体調不良に対して・・誇大に不安が押し寄せる・・・

 

〈頭が痛い・・脳に悪性の腫瘍があるに違いない・・病院に行く・・MRIを撮る・・なにも見つからない・・いや、そんなはずはない・・病院ジプシーとしてさまよう・・〉

 

微小な出来事を、誇大な不安に結びつける・・そういうカルマとしての魂が、育つわけです・・それは、来世に、多分に影響します・・

 

排他的な気質をもった宗教・宗派に依存し続けると「生きている間だけでなく、死んでからも・・来世も」・・

 

不安に怯える・・過剰に。