得体の知れぬもの・・ハウス分割について

年末、大宮で街占(路上占い)しているとき、のことなのだが、

 

と書き出して・・この話は、やっぱりやめておこうと思います。

 

得体の知れないものが、「書く」ことに壁を作るからです。見えない壁。

 

得体の知れぬもの・・それとのコミュニケーションっていうのは大事ですから・・

 

大事ではあるのだけれど・・得体の知れぬもの・・それと、コミュニケーションするべきのときもあれば、「そのもの」との交信を拒絶すべきときもあって、

 

つまりは、年末の大宮での出来事、それはとある人とのやり取りの出来事なのだけれど・・そのやり取りを想起する、っていう意味でのその人との「交信」を、今はすべきではない、というメッセージが僕に「壁」として届いている、ということでありまして。

 

つまり、を重ねますけれど・・その人との交信は絶って、壁とのやりとりをすべし、ということなのであります。

 

つまりは、壁も、その人も、「得体の知れぬもの」なわけです。

 

「人」が得体の知れぬもの?

 

「人」こそ得体の知れぬもの・・です。

 

得体の知れぬものを知る・・それが占いとしての、たとえば「占星学」であったり、スピリチュアリズムとしての「心霊学」であったり、

 

サイエンス・・自然科学も、本来はそうなわけですが・・「歴史学」にしても、「今という時間」を生きている私たちに、歴史的過去など、見えない・・得体の知れないもの、なわけです・・それを、知る・・

 

「今という時間」って言いましたけれど・・「時間」

 

時間・・見えない・・これも、得体の知れないものなわけです。

 

得体は知れないけれど・・なんかあるぞ・・なんかが常に動いているぞ・・

 

太陽が動いているぞ・・ということは、太陽を動かしているなにかがあるぞ・・そのなにかを、人は「時間」と名付けた。

 

見えないけれど、ある、存在している、偏在している「動力」

 

その動力を、図として映したものが「ホロスコープ」なわけです。見えないけれどある・・気・エネルギー・プラナ・ブリル・霊・魂・・・様々な呼称があるわけですけれど・・時間も、そうなわけです。時間は、偏在するエネルギー・・そして、そのエネルギーの個人的な魂の有り様として対象化されたものが「ホロスコープ」なわけです・・

 

で・・ホロスコープ・・作るとき・・街占でも、僕はパソコンで作ってますけれど・・昔は手計算で、10分ぐらい時間もらって、恒星時、室項表、時差表を見ての足し算引き算してましたが・・

 

本当だったら、関数電卓で三角関数計算をすべきだったのでしょうけれど・・

 

なにが言いたいの?・・計算についてです。

 

ハウスシステム・・ホロスコープのハウス分割における計算方法、

 

時間による分割方式と、空間による分割方式がある・・どっちにも、支持者はいるわけなんですけれど・・ホロスコープに映されているのは、時間というエネルギー、なわけです・・

 

だから、僕は、時間分割方式を、用いるべき、と思うのです。

 

得体の知れないものを、知るために、見えないものを見るために、

 

・・感知するために。