求めれば与えられるのか。

新約聖書の、マタイとルカの福音書に書かれている、有名なフレーズ、だけれど、

 

「求めよ、さらば与えられん」

 

本当なのかな、って思うけれど、本当なんだろうね。と思います。

 

僕は、キリスト者ではないけれど、迫害を生きた、っていう意味で、イエスには、シンパシー持ちます。

 

迫害・・たとえば、お金のない人にとっては、この資本主義っていう世界そのものが、迫害な世界、なわけで・・僕も、お金には、とても、困って生きてきたところ、あったりして・・

 

求めてる・・お金・・すると・・財布が落ちてる・・

 

警察に届ける、なんていう発想は、出てこないわけです。もう、ウキウキの有頂天になる。

 

そういうこと、何度かあったんですけれど・・最後に、財布、落ちてるっていうか、置いてあったの見つけたのは、いつだろ・・17年くらい前、だったかな。

 

とある、急行止まるけど、そんなに拓けているわけでもない駅の近くで、街占(路上占い)していて、で、引き上げて、車止めてある場所まで、歩いていて・・建物と建物の隙間、通ってたんです。狭き門、細い道・・これも、マタイとルカの福音書に、通じますけれど・・命につながる細い道・・道っていうか、通路。

 

建物のエアコンの室外機・・その上に、ポーチが置いてあったんです。男性用な感じの。

 

僕は、ウキウキの、期待の悪魔に、魂、乗っ取られたわけです。

 

ポーチのジッパー開けて、中に財布が入っていて・・で、財布の中・・札もコインも、全く入ってないわけです・・ああ、と僕は察して。

 

誰かが、すでに、抜き取った・・そして、ここに、ポーチごと置き去りにした。

 

 

財布の中には、何枚ものカードが入っていて、免許証とかも入っていて。

 

交番届けて、いくらか謝礼、落とし主からもらうか・・僕は、そう切り替えました。

 

駅の反対口に、交番あったな・・歩いて、持っていったんです。応対した警察官に、ポーチ渡して。

 

警察官、中を開けて・・財布・・そして、他に、小さなポーチ・・マトリョーシカみたいに、ポーチの中に、またポーチ、だったわけです。そのポーチの存在に、僕、あの、通路で、気づかなかった・・暗かった、っていうの、あるし、財布にしか、悪魔の気持ちは、焦点が合ってなかった、わけです。

 

小さなポーチから、出てくるわ出てくるわ・・万札が45枚、くらいだったと思います。

 

「すごい」

 

警察の前で、僕、呟いたりして、驚いている自分を演じながら、心の中では、頭を抱えていました。バカバカと、自分を呪っていました。

 

そういう自分が、自分の中にいたけれど・・でも、この45万・・別に、必要としていない自分もいて・・

 

食ってけましたからね。日中は日中で、勤めの仕事して、夜は、街占に出て・・

 

つまりは、求めていなかったんですよ。

 

後日、謝礼として、落とし主から5万、頂いたんですけれど・・落とし主から電話があって、待ち合わせをして・・「子供の入学資金でおろしたお金」みたいなこと、おっしゃってたんですけれど・・とある自治体の、高い役職についている人で・・

 

「助かりました」・・そうおっしゃってたけれど・・言葉にあんまり、気持ち、入ってなかったかな・・たしかその頃、僕、金髪の、見た目いかがわしいお兄さんだったから、っていうの、あると思うけれど、どことなく、僕への警戒、滲んでた、です。

 

「助かりました」・・そう言われて、僕も、別に、その人を助けたかったわけではなく、いくばくかの謝礼でも貰えれば、っていう自分利益の気持ちで交番に持っていったわけで・・上っ面の「いえいえ、どういたしまして」みたいにしか、応えられなかった、ですね。

 

つまりは、求めてなかったから、あの45万は、僕の懐に入ることはなかった、っていうのは、ある。謝礼の5万すら、なんか、貰って後味の悪い5万だった。

 

足りてたわけです。

 

足るを知る・・

 

足るを知ってる人間は幸せだ・・不足を知ってる人間は、不幸だ・・

 

そんな感じ、世の中で言われたり、っていうの、あるけれど・・人間、どっちも持ってると思います。

 

足るを知っていれば、今と、その今につながる過去を肯定できる・・その中で、感謝が心に生じる・・感謝の気持ちは、いい気を引き寄せる、っていうのは、ありますね。

 

不足感じてる状態の中では、感謝の余裕なんて、ないですよ。呪詛に感情、支配される。

 

どっちがいいか・・ではなく、両方あるわけです。と思います。

 

お金、っていう意味で言えば、天才投資家っていうのかな・・バフェット・・ウォーレン・バフェット・・世のビジネスマンには、彼の語録はウケているけれど・・

 

『スノーボール』の最初のほうで、

 

「すべての莫大な富の背後には犯罪があるとバルザックは言った。それはバークシャー・ハザウェイにはあてはまらない」・・そうなんでしょうね。

 

犯罪っていうのは、法を犯すことってなるけれど・・「法」っていうのは、自然法だったり実定法だったり・・あるいは、仏教的なダルマだったり・・解釈は多岐に渡る言葉だけれど・・

 

バフェット、そしてハザウェイは、犯罪、実定法に抵触するか否か、っていう意味では、犯していない・・ただ・・実定法っていうのは、資本主義経済の中では、資本力持ってる人間が、作っているも同然なわけです。

 

莫大な富の、バフェットへの集中なんていうのは、バフェットがゲイツと組んで、どんな慈善事業しようと、自然法に照らせば、犯罪ですよ。たとえば、モーセの十戒に照らせば、「盗んじゃいけない」わけです。資本主義っていうはの、搾取によって富を得る・・

 

どれだけ搾り取っているのか、っていうことです。世界中から。

 

僕もできれば、搾り取ってみたくもあるけれど。

 

ちなみに、バフェットのホロスコープの出生図・・金星がMCと天秤座でコンジャクションしていて・・好きなものを、更に知ろうとする意欲、とっても強くて、その意欲の継続の中で、ひらめきを得る、っていうの、あります。

 

その、ひらめきのタイミングが、バフェットにおいては、投資のタイミングになってる。知性、知識、その拡充が直感と物的富に結びつく。

 

バフェットの一面として、そういうの、あります。

 

 

 

不足で苦しんでいる・・それは、足りている今の裏返しでもあって・・

 

この二面の行ったり来たりは、(お金のこと、抜きにしても)死ぬまで・・死んでからも、続く・・はずなんですよ。と、思います。