『占星術の基礎 その5』・・抽象を極める

思考方法に、帰納と演繹・・そういうの、あるけれど・・

 

帰納は、具体的な事柄から抽象的な概念を見い出す方法で、演繹はその逆・・抽象概念から具体的なものを展開していく・・

 

占星術に限ったことではないのかも、だけれど・・まずは、抽象を見出していくの、とても大事で・・で、その抽象っていうのは、単純な概念であればあるほど、ある意味、ビッグバンの威力で、エネルギー、その圧が高まる・・具体への拡散の威力、高まる、っていうの、あります。

 

たとえば・・金が欲しい・・それ、抽象的な欲求、ですよね。金・・交換価値に特化した、特殊な商品、なわけです・・具体的には、1万円札、とかにあるけれど・・金っていうのは、抽象なわけです・・その抽象への欲求、その圧力が高まれば、人、結構、なんでもやりますよね・・昔だったら・・血液銀行に血を売ってた・・っていうの、つげ忠男さんの漫画に、あるけれど・・僕、つげ忠男さん、神様みたいに、一方的に慕っています。

 

つげ忠男さん・・じゃねえな・・つげ忠男先生、だな。つげ先生のお店で買ったオーバーオール・・宝物です。

 

そう・・なんでもする・・血を売る、身体を売る・・持ってるもの、金になりそうなのは、売る・・売るわけです。売って、交換価値のみをその性質に持った金を、得る。

 

具体的には、1万円札とか・・です。

 

金が欲しい・・それと、似てるわけです・・占星術にしても、その、一言二言の、抽象的な言葉、概念・・その言葉に、圧が加われば加わるほど、人を占ってて、人の具体を、深く、強く、表現できる。人に、明日をもたらす。

 

人に明日をもたらした言葉・・たとえば、かつて世界の体制を二分した、その思想的根拠となったマルクスだったら・・「解釈でなく変革」とか、「自分の道を行け、人には言わせておけ」・・そんな感じの言葉、あるわけです。マルクスと同時代を生きたニーチェだったら「超人たれ」「神は死んでしまった」

 

ある意味、これらの言葉だけから、膨大な思想が展開されていく・・これら、抽象概念を見い出す生みの苦しみ・・そこに、思想家の生き様っていうのは、ある。

 

それは、占星術師も同じ、なわけです。

 

占星術の概念・・それは概念である以上、どこまでも、抽象なわけです・・その抽象を、いたずらに細分化して、言葉の威力を失わせただけの・・そういうテキストめいた本・・西洋占星術入門、みたいに、本屋では、売られているけれど・・

 

それらを逐一、学校の勉強みたいに覚えようとすると・・大概、人は挫折するわけです。言葉に力がないから、ただの記憶勉強に、辟易しちゃう・・

 

占い師として世に出る前に、勉強だけを続けて、知り合いを見てあげたり・・それで終わっちゃう・・ま、それも、いいのだけれど・・

 

去年、歌舞伎町で路上占いしてるとき、一人の男性が、お客さん、っていうわけでなく、僕に接近してきて・・ポケットからライダー・ウエイトのタロットカード、フルデッキ、出した。それを、カットしながら・・

 

タロット、勉強してるんですよ。占い師、僕もやろうと思って・・

 

どのくらい勉強してるんですか?

 

二年です・・

 

(二年?・・長えよ)

 

 

占い師って、一生勉強だし、一生、修行なわけです。路上なり、ブースなり、ネット通じてなり・・デビューは人それぞれだけれど・・そのデビューまでに、すでに二年費やしている・・

 

占い師は、一生勉強で、でも、本当の勉強は、デビューから始まるわけです。

 

その人・・なんか、自慢げに・・松村先生には、二度会ったことがあります。鏡先生には、まだお会いしていないんですけれど・・

 

僕的に、?・・なわけです。西洋占星術の、ある意味、大御所、ってなるのかな・・その人達に、会ったことがあるか、あるいは、これから会う可能性があるかのことを匂わすとか・・

 

意味がない。

 

そんなんじゃなくて、仕事として、一人でも、占いなさい・・一人の魂と、向き合いなさい・・勉強に二年は長すぎます・・僕は、そんなこと、言っちゃった。

 

デビュー前に、勉強・・それは、大事です・・いいテキストや、巡り会えれば、いい師匠の元で・・そういうの、大事です・・

 

じゃないと、占い師、ただでさえ、インチキに陥りやすいのに、まるっきりのインチキになっちゃう・・事前の勉強は、大事です・・ただ・・この、準備としての勉強過程・・そこで、基本の力を自分に育めるかどうか・・それ、やっぱり、出会い・・テキストや師匠・・

 

悪いけれど・・その人は、恵まれていない。

 

 

占星術の基礎・・抽象を極める・・その抽象とは・・出たとこ勝負・・です。

 

たとえば・・イエス・・イエス・キリスト・・

 

今、春分点のアセンダントのサインが、水瓶に移動して、水瓶座時代に入った、とか、まだ、入ってないとか・・そこ、占い師によって、意見はさまざまだけれど・・水瓶座時代以前の、魚座時代・・この魚座時代は、イエス・キリストの時代・・そう言われたりしている・・

 

イエスを知る・・それだけでも、一生かけた勉強なわけです。魚座時代を知る、っていう意味で。占い師は、一生、勉強なわけです。そして、修行なわけです。そう、イエス・・使徒を引き連れ、出たとこ勝負で人々に、奇跡をもたらし、そして、神に見放された無念のなかで、死んだ・・

 

イエス・・魚座・・この時代を知る・・それは、イエスのごとく、出たとこ勝負、しなきゃ、『知る』の、本当の意味にはたどり着かないわけです。

 

出て、初めて、占い師は、始まる・・イエスの生まれ変わりを自称するインチキ、あるいはそのたぐいに仲間入りするか、イエスを身をもって、知るか・・出て、初めて、自分に知るわけです。

 

寺山修司じゃないけれど、書を捨てよ、街に出よ・・なわけです。ニーチェのツァラトゥストラは、洞窟から外に出て、初めてツァラトゥストラになったわけです。

 

勉強は、大事です。でも、勉強が、出ることへの臆病、その言い訳になってるんだとしたら、その臆病と、向き合う・・向き合うこと、向き合い続けることで、出たとこ勝負の自分が、どんどん育まれてきます。

 

特殊な仕事、ですからね。占い師は・・資格なんか、必要ないし、どこかの民間資格とったとしても、その資格・・寄りかかれないでしょ。

 

・・頼れるものは、なにもない。すがれる神などない。神は死んでいる。・・自分が神にならなくてはならない。自分が自分を超えなくてはならない。まるで、ニーチェなわけです。

 

長くなったから、もうやめよ・・『占星術の基礎 その5』・・抽象を極める・・その抽象の言葉とは・・出たとこ勝負、なわけです。