すでに他界・・帰幽している僕の父親が、何年前だろ・・20年以上前・・
大宮の、自治医大医療センターで、狭心症のバイパス手術を受けて・・
そのとき僕は、前夜、見舞って、手術当日の早朝、職場に午前、時間給もらって、手術室に入る父親を、見送ろうとしていた・・
で・・え?・・失敗したら死ぬ手術?・・その朝知って、急遽、職場に電話・・休みます。・・伝えました。見送りが、本当に、見送りになるのかも・・
その、手術室から、あの世に行かないで帰ってくるのかどうか・・それを待つ時間・・なんも、その待機を考えていなかったから・・暇つぶし、って言ったら、変かも、だけれど・・用意がなくて・・
その、医療センターなる病院の、地下の売店で、時間潰しに買ったのが、芥川賞取ったばかりの花村萬月の「ゲルマニウムの夜」で、
そこから、しばらく、花村萬月にハマりだした・・
夜、路上占い・・椅子に座って、それも、ある意味、お客さん待つまでの、暇つぶし・・花村萬月、よく読んでたんだけれど・・彼の小説は、暇つぶしに、とてもよく似合うと思います。
彼の、なんかの小説で、「被害者になるな、加害者になれ」・・登場人物に、言わせていたな。
被害者になるな、加害者になれ・・だと、思います。
・・人間・・二択、なんですよね・・ヘーゲル・・あれもこれも・・キェルケゴール・・あれかこれか・・どっちが正しい?・・
二択なんですよ。「あれもこれも」なんていうのは、観念麻薬にすぎない・・現実は、あれかこれか・・そうでしょ・・ヘーゲルの、正・反・合、にしても・・・・正と反の対立、それの止揚としての、合・・対立に対して、合を選ぶ・・そういうことで、基本、人は二択のなかで、選択して生きているわけです。
被害者・・加害者・・どっち選ぶの?・・
加害者、でしょ・・汚い加害者・・美しき被害者・・
汚れる方・・でしょ。汚れを纏え、っていうことです。
なんで?
たとえば・・
人の身体、どんなにアンチエイジング、頑張っても、必ずゴミになる宿命・・必然持ってるわけです・・ほっとけば、ウジに食われるゴミになる・・ゴミになる宿命の身体・・でも、魂入ってる・・生きてるうちは・・(っていう言い方、ちょっと、変かもだけれど・・魂・・霊・・それは、神でもある、エネルギーなわけです。そして、)神の住処、なわけです。身体は。
いずれ、魂抜けて腐る・・ゴミになる・・その宿命・・ひたすら、自然腐敗への道に辿り着こうとする身体・・この身体・・愛せ、ってことです。神の住処として。
神が消えたら、ゴミですよ。寺社も身体も。
つまり、身体は、ゴミなわけです。ゴミを、愛す。ゴミを、メンテナンスする・・それは、たとえば、坊主が、宮司が、仏の、神の、その住処としての寺社を磨くのと同じです。
ゴミを磨く・・なわけです。
きれいを愛するな・・汚れを愛せ・・汚れろ・・加害者になれ・・被害者になるな・・そういうことです。必然を愛せ・・死を愛せ・・腐敗を愛せ・・逃げるな・・
ゴミに抗うな・・愛せ。腐敗しゆくゴミを、これでもか・・そう思って、ゴミを纏って生きる方が、より、魂の輪郭、感じやすくなる・・です。汚れを住処にしろ、っていうことです。
汚れらんない受け身の被害者は、きれいな分だけ、ただの臆病者です。