『占星術の基礎 その②』と・・最上級ならいいんじゃないの?

埼玉の大宮に、鉄道博物館があって、略して鉄博、なわけですけれど。

 

一回しか行ったことないのだけれど・・子供の学童保育の遠足みたいな感じの、その付き添いみたいな感じで。

 

そこには、ジオラマっていうんですか・・模型の小さな鉄道・・列車がぐるぐる運行している・・運行です・・うんこう・・排泄された、肥料となったりする、あっちではないです。

 

ただ・・人の糞尿も、ぐるぐる、生態系を巡って、また、人間の口に入るから、まったくジオラマの列車の「運行」と、姿形、臭い、その五感に訴える様の異質性を超えたところで、

 

かけ離れたものではない・・運行とウンコ

 

星も、運行している・・

 

生態系を巡るウンコと同じで、運行して、ぐるぐる回っている・・それは、星も、そうなわけです。

 

で・・運行している星の位置・・今と同じは、ないわけです・・過去をどれだけ探っても、今と同じ星の位置・・未来にもない・・今の星の位置は、今しかない。

 

今・・なんです。

 

人・・過去を生き、今に通じ、そして、未来に向かう・・時間軸的な言い方をすれば、そうなんですけれど・・時間・・これは、人間が考え出した概念・・

 

過去・・どこにあるのか・・記憶にあるだけ・・

 

未来、どこにあるのか・・どこにもないわけです。

 

人、時間軸概念から言えば、今、しか知らない・・今・・あっという間に、今は過去になる・・違います・・過去という記憶になるだけで、過去は存在しない。存在するのは、今だけです。

 

星・・運行している・・今の自分、動いている。

 

ホロスコープを見る・・一年前の星の位置を見る・・十年前の星の位置を見る・・

 

それは、過去を見ているわけでなく、過去に描かれた星の位置を、今、見ている。映し出されたホロスコープは、過去という今、なわけです。

 

未来、しかりです。

 

今・・これが基本です。

 

永遠の今、っていう学園モノの洋画が、昔、あったな。その日本版タイトルそのまま・・永遠の今・・としての、過去であり、未来であり。

 

だから、ホロスコープ、過去をみても、未来をみても・・それが、今の自分につながる。

 

過去も未来も、ホロスコープを通じて、今になるわけです。

 

時間軸的に分断された過去、未来・・それが、今とドッキングする。今と一つになる。寄せ集めとしての総合ではなく、今に統一される。一なる光を見る・・それを、見い出す。

 

今、過去にウンコだったものを食べてる。未来、それがウンコになる。それは、今、ウンコを食べてる、その中に、統一されている。

 

過去のまさにウンコそのものを食べてるわけでなく、未来、ウンコになったものを食べているわけでなく・・そういう寄せ集めの総合を、今、しているわけではなく、今、食べてる、そこに、過去と未来が統一されている。

 

くどい言い方・・しかも、分かりづらい言い方・・ですけれど。

 

運行・・その時間の流れ・・今への統一・・これ、『占星術の基礎 その②』です。

 

あのころは、ああだった。今は、こう。未来は、こうなる。っていう分断ではないんです。

 

過去も未来も、今。

 

昔、一緒に住んでた彼女が、フランシス・コッポラの『地獄の黙示録』のなかに出てくるらしいセリフで「過去を踏み台にして最高の今を生きろ」だったかな。よく、呟いていた。

付け加えるなら、過去も「未来も」踏み台しにして、です。

 

それが、「最高」を生きるにしても「最悪」を生きるにしても。

 

どっちも、最上級なら、いいんじゃないの?