ボイド、恐れることなかれ

占い師を、占いブースと路上で、同時期に始めてから、20年と半年くらいになるのだけれど、

 

基本占術は命占が西洋占星術で、卜占がタロットで、

 

よく、タロットっていう「卜占一本」でやってる占い師さん、いるけれど・・すげえな、って思います。インスピレーションだけで、やってる、っていうことですから。

 

ただ、占星術とかの命占も、基本は、インスピレーションで、第六感、あるいは霊感が、前提となる、っていう意味においては、命占も卜占も、通底するものは、変わらないのだけれど。

 

六感ありき、それを前提に、命占は体系化されていて、六感っていうのは、人間の高度な精神機能で、その、個々人に分断された精神機能の集合としてあるスピリチュアル領域から、個人がセンサーで、情報を拾ってきた、そして、それが、体系化されたものが、命占の体系なわけです。

 

そして、その六感のスピリチュアル集合領域、それは、固定化されたものではなくて、内容は、常に改変されている。つまりは、命占として体系化されている占星術の、その内容も、常に、改変されている。

 

だから、占い師の仕事、日々の変化を感じ取って、学び取って、変わり続ける・・それが大事で・・

 

変わることを恐れてはいけない、っていうの、あります。

 

で、ですね・・恐れ・・占星術・・ボイド・・月のボイド・・恐れますよね。

 

月が次のサインに入るその前の・・ラストアスペクトから、次のサインの0度とコンジャクションするまでの、その間。

 

で、このボイド、どう見るか・・気をつけて・・気にしないで・・意見あるけれど・・気をつけるも気にしないも、どっちも同義で、つまりは、どっちも気にして、恐れている。

 

実体験として、月のボイド期に、なにがしかアクションおこしてひどい目にあった、そういう実体験を持たない占い師、多いと思うけれど、そういう占い師が、耳知識そのままを、占いで、人に、このときは行動控えたほうがいい・・とか言っちゃう。

 

実体験ないのに、デタラメ言うな、ってことですよ。

 

言うんならボイドのとき、自ら何某か、アクション起こして、身をもって、そのリアクションを、経験してみな、って思います。

 

だから、伝統的な占星術は、メンタル体のイリュージョン(幻想)にすぎない、みたいな感じのこと、アリス・ベイリー・・っていうか、ジュワル・クージュに、まさに、みたいに、突かれること、言われちゃう。

 

ボイドを恐れる・・それは、固着した幻想が前提なわけです。

 

じゃあ、ボイド・・そこでのアクション、なにも影響ないのか・・

 

ありますよ。

 

僕の実体験、とってもあります。月のラディクス(ネータル)、その月と、コンジャクションもしくはオポジション、その位置のサインの月のボイド、そのときのアクションに、強烈なリアクション、待ってる・・そういうの、あります。

 

それは、実体験です。

 

ただね・・それは、人にとって、あるいは、僕にとって、魂のアセンションに必要なリアクションであった・・そう思います。

 

リアクション通じて、新たな自分を生む・・そのために、月のボイド・・使えます。

 

その心的準備、できていないと、恐いですよね。でも、恐れをもって、行動を控える・・それは、行動だけでなく、同時に魂を窒息させてしまっていることになります。魂は、次の次元に行きたいんですよ・・

 

そもそも、月のボイド・・ウイリアム・リリーが、占いしているとき、どうも、占っている相手との意志の疎通ができない・・それ、調べたら・・月のボイド・・よく、そこ、突き止めたな、とは思うけれど・・

 

そういう感じ、発端としてあった・・みたいに言われているけれど・・じゃあ、月のボイド、避ければいいのか・・

 

避けるイコール恐れる、なわけです。

 

月のボイドにおいて、相手との意志の疎通ができなくなる、その魂の有り様を、超えていく・・魂を、開いていく、っていうことでもあるのですけれど、自意識を超えていく・・無限とつながっていく・・そのきっかけとして、ボイド、使えます。

 

無限とつながった占星術、その体系は、イリュージョンではない・・ま、ウイリアム・リリー・・古典の人だけれど、基本、彼は、イリュージョンから抜け出れなかった、っていうことです。

 

固着の観念は、幻想に帰すんです。

 

ボイド、恐れることなかれ、です。