西洋占星術・・ユング的解釈に真実はない

僕は基本、毎日、その時刻は定まってはいないけれど、タロットフルデッキをシャッフル・カットして、一枚めくる。いわゆる、デイリーリーディングというやつなわけです。

 

占いは、占い師に占ってもらうのもいいけれど、その意味では、僕のところきてくれれば、僕の懐も喜ぶ、っていう意味で、僕のところにくるの、とってもいのだけれど、でも、本当は、自分で自分をみる・・それ、大事です。

 

占いっていう神秘、それは、占い師その人のなかにあるわけじゃなくて、人、その人自身のなかに、神秘はある。その神秘を、自分で探るの、大事です。

 

デイリーリーディング、その意味では、とてもいいわけで、じゃあ、タロット、勉強しなきゃ、なのかっていうと、それは、大事かもしれないけれど、めくったカード、そこにある波動、それを感知することのほうが大事です。

 

万物に波動がある。その波動、読み方変えれば、神性とか、仏性とかになるわけです。道元の言葉で言えば、悉有仏性・・全ては、物理的様相を持っていてもいなくても、波動であり、神であり、仏なわけです。言い方、更に変えれば、エネルギーなわけです。あらゆるところに、エネルギーは存在している。偏在、しているわけです。

 

自分という波動、自分という神、その今、そして、欲求を、カードから読み取る。カードの波動を、その絵柄、スートや数、そこから感知していく・・そして、その感知した波動を、次にカードをめくるまでの、自分の思惟と行為の、道標にしていく。

 

それは、べつに、たいしたことではなくて、テレビの、今日の何々座は?みたいな占いを、もっと、ちゃんと自分に即して行う、ただ、それだけのこと、です。正直、あんなテレビの占いとか、見ないでいいです。あんなの、適当だから。見てもいいけど。

 

で、リーディング・・タロットにしても、西洋占星術にしても、巷、概念をまず持つ、そのこと、ありきみたいになっている。このスートは?数は?星とサインの関係は?

 

概念はマインド、つまりは思考によって生み出されたもので、思考・・たとえば、1+1=2・・これは、思考の一つだけれど・・1+1=2・・これは、絶対じゃない。

 

思考によって体系化されたものを絶対化すると、それは、錯誤に陥る。錯誤の体系が、膨張する。1+1=2というのは、素晴らしい発見だけれど、それは、すべての科学にいえることでもあるけれど、ひらめきを前提にして、作られた概念で、まず、ひらめき・・それが、真理の導線なわけです。

 

本物の科学者は、神秘家でもあり・・たとえば、それは「それは科学的じゃない」とか言って、神秘を否定する科学者・・そういう人は、本物ではなく、本物の人が見出し、公式化、概念化されたものを、後追いしているだけの、エセなわけです。科学なる錯誤を信仰している。つまりは、公式や概念を信仰しいたら、真実は見えてこないっていうことです。それは、占いについて、言えます。

 

たとえば、っていうか、そう、巷・・タロットにしても占星術にしても、鏡リュウジの影響なんだろうけれど、ユング的な解釈が、とても流通している。ユングは、オカルティストのイメージ、あるけれど、でも、基本、概念の人で、概念っていうのは、分節して物事を捉える、っていうのを前提にして、その分節されたものを、論理的につなげていく・・つまりは、思考作用によって生み出されたもの、なわけだけれど・・

 

ユングは、意識を、意識、個人的意識、集合的無意識って、分節させて、それらを概念的に繋げていく。彼は、占星術やタロットをかじったりはしていたけれど、占い師ではないし、オカルティストではないし、心理学っていう科学分野において、マインドを駆使していた人、なわけです。

 

マインド、その領域にある彼の体系に、依存すること、そこに、真実は見えないんです。僕、ユング、結構読みましたけれど。河合隼雄先生の本も、ほとんど読んだ、ですけれど。

 

真実は、マインドにあるわけじゃない。自分にある。そういうことです。自分という波動、自分という神、それを今生きる。その道標をして、カード、めくるの、いいです。