淀み


7月も、もうすぐ終わる。

 

今年の7月と来年の7月は、地球の人間構成も随分変わるはず・・

 

スピリチュアリズム的に言えば、人間は死なない。魂は死後も存続する。しかし肉体存在としての人間の、その命の構成は、今年の7月と来年の7月とでは、変化は免れない。

 

来年の7月、僕はこの地球で、肉体存在として存在しているのかどうか・・

 

ある意味、今世における僕的使命が来年7月までに完遂できているならば、僕は来年の7月、肉体を脱いでいるはずだ。

 

そしてしばらく・・何百年かは、この地球に、肉体存在としては戻ってはこない。

 

今世における使命を達成できず、不慮の出来事によって肉体を脱がねばならなかったとしたら、転生は早いはずだ。浮かばれない魂は、天界に上昇できず、受肉を急ぐ。

 

いずれにせよ、僕は肉体を脱いでも、再びこの地上に肉体存在として、降りてくるだろう。未熟な魂を進化させるための試練として。

 

この世界にいる、全ての人間は、未熟だ。未熟な者と未熟な者が争い、未熟な者が未熟な者を裁き、未熟な者が、未熟な者を敵として未熟な正義を掲げる。

 

争いも裁きも正義も、未熟な自分に固執した、魂の淀みそのものだ・・その淀みを、僕は生きている。

 

生きた分だけ淀みは増す。随分、僕は淀んだ。来年の7月は、もっと淀んでいるだろう。淀みを肥やしにしなければ、蓮の花は咲かないように、淀みの中にしか、天命は光らない。

 

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