四月から中学2年に進級する息子(三人の子供のうちの真ん中)が小学1年の時・・その時のクラスの担任にやられて、病んだ。
その年の二学期が始まって間もなくの9月の初頭、腹痛・頭痛・下痢・発熱・嘔吐で3日くらい学校を休み、以後、おかしくなった。
息子は放課後は、学童保育にお世話になっていた。僕は午後5時くらいに息子を車で、小学校校舎の一番端っこの、一階の教室を改造して作られた学童保育室に迎えに行っていた。
学童保育室から僕に迎えられた息子は車に乗る。すると始まる。
「うわにょうわにょうわにょ・・・・」
ずっと意味化されない言葉を唱えてる。ずっと・・・、ずっとだ。
家に帰っても、ずっと・・風呂に入って風呂から上がって、ベッドに入っても、ずっと「うわにょうわにょ・・・」
・・チック症状とされるものの一つ、なのだろう・・
僕は聞いてて気が狂いそうだった。なんとかなんねえか・・あの担任が原因だっていうことは分かっていた。あの、9月初頭から、その2学期を経て3学期が終わるまでの・・あの・・7か月間・・長かった。
3学期に入ると・・あと少し、あと少し・・ファンキーモンキーベイビーズの『あとひとつ』が僕にとっての「頑張れソング」になっていた。
2年生に進級して、担任が変わり・・コロッと息子から「うわにょ」は消えた。生気を失っていた顔面表情も、一気に変わった。
息子はターゲットにされていた。1年の時の担任に。
一人のターゲットを悪者にして、その一人をクラスの皆が、なにかにつけ、注意する・・そういう人間関係システムを作ってクラスをまとめようとする教員は、実在する。
あの2学期から3学期の過程、どうしよう・・考えた・・校長に話した・・校長は担任を擁護した・・市の教育委員会に電話した・・とても心ある対応を電話のやり取りで感じた・・そして、校長はガラッと僕への態度を、別人格のように、変えた。急に「理解者」になった。
さらに、担任と息子との、いくつもの事件の中で・・県の教育委員会に電話した。
・・クラスに授業中、他の職員が補佐的に見守ることになった。
この過程・・教頭先生は、とてもよくしてくれた。助けられた・・
で・・この過程・・2学期のあるとき・・昼間・・僕はウズウズ、悶々としながら・・家のベッドに横になり、天井を見上げていた・・息子が天井近くの宙を漂っていた。
ああ・・魂、浮いちゃってるんだな・・
地に足着かない不安定すぎる日々、その日常を強制されている息子の魂の分霊がフワフワ浮いていたのだ。
・・地に足着けてあげなきゃ・・グラウディングさせてあげなきゃ・・思った。
宙に浮いた魂を地面に下ろしてあげなきゃ・・思った。
浮いた魂・・息子の分霊と、肉体と共にいる息子の本霊を同化させつつ、なおかつこの魂をグラウディングさせる、その一助として、僕は家庭用のトランポリンを買った。
なぜか「トランポリン」と思った。
生気なく、表情なく、そのままの息子が、トランポリンで跳ねるようになった。あの顔は、思い出すと「かわいい」