子供の頃、庭の枯れ草にマッチで火を点けるのが好きで、ひとり延々と、マッチを擦り続けていた日々・・
その自分に自分をシンクロすると、癒やされる・・その時の自分が自分に入り込んできて、今とは違うその時の実家の庭の景色のなかにいる自分が、今の自分になる。
火は、人を癒やす。
昔、山田太一のドラマで、山崎努が屋敷の庭で焚き火をしていて、そこに訪れた鶴見辰吾に「火をじっとみることがあるか」みたいなこと、言ってたような・・
20年以上前は、冬の路上占いで、足元に七輪を焚いていたけれど、今は、してなくて・・焚きつけるときに、どうしても煙が出てしまって・・今の情勢では、警察がきて厄介なことになりそう、っていうのと・・
七輪なりを運ぶの、面倒、っていうのと・・
20年以上前は、移動手段の車、路駐。車を目の前にして占い。今は、コインパーキング。だから運ぶの面倒。
面倒で七輪は焚かないけれど・・火は、いつも、ある・・
瞑想・・暗闇の中に火が灯る・・眉間のあたりに・・ある意味、それが瞑想の「ゾーン」なわけで・・その火とともに、僕は占いをしているのですけれど・・
火・・これが、大事なわけです。
占星術は、統計学とも言われていて、ある意味、概念の世界でもあるわけだけれど・・概念は、死んだ化石としての、マインド機能なわけです・・
でも、概念の積み重ねとして、勉強をしていくことは、先人の叡智を自分に吸収していく、っていう意味で、とても大切ではある・・
が、概念を概念として、そこからのチョイスとして、占いをするっていうのは、コンピューター占いになっちゃうわけです。
死んだ占い、なわけです。
概念・・基本は死んでる・・そこに、眉間の火を灯す・・概念が燃えだす・・
死んだ概念が、生きた言葉として燃えだす、わけです。
違う言い方をすれば、思考と直感の摩擦・・そこに生じるスパーク・・としての、言葉・・死者が蘇る奇跡・・なわけです。
だから、勉強は大事・・瞑想は、たぶん、もっと大事・・です。