「知」と「実践」

僕は、すべての病気や疾患は、霊的なものだと思っているのだが・・

 

だだ・・邪気や邪霊が疾患に関与しているにせよ、それを祓うとかだけに終始しようとしても駄目で、肉体への西洋東洋問わずの医療的アプローチは必要だと思います。

 

それと・・免疫力・・生命力を養生するのも、大事だと思います。それらと相即的に、根源としての霊的な対応っていうのが、大事になるのだけれど・・

 

僕、じんましん、ひどい肩こり・・続いていて、よくなってはいるのだけれど・・

 

・・・ろうそくに火をつけて、その背後にブラック・ミラーをおいて、スクライングしながらの瞑想、祈念、続けていたら・・す~っと、肩が楽になって・・

 

気の流れがよくなった・・

 

・・・知らぬところから心霊的に、攻撃されたり、自分史のなかで、自分に溜まっている誰かへの怨念が、自分を知らぬ間に攻撃していたり、っていうのがあって、

 

それを解くっていうのは、肉体、生命体への対応とともに、必要なわけで・・

 

つまりは心霊的な対応、っていうことなのだけれど・・

 

で・・それは、自分を知るっていうことのなかから、導き出せる行為なわけで・・

 

知って、行動する・・

 

知って、祓う・・瞑想・祈念のなかで・・

 

「知る」と「動く」が、一体のものとしての、自分への知識っていうのは、大事だと思います。

 

実践に結びつかない「知」っていうのは、知識欲、好奇心を満たすだけのもの・・

 

そういう「知識」を鼻にかける人は結構いるけれど・・聞いてて虚しい「知」だな、と思います。

 

じゃあ、どうやって、自分を知るのか・・その方法は・・

 

いろいろあるんだと思いますよ。大事なのな、思いついたら、やってみる・・そこから、始まるんだと思います。

 

できれば、お金かけないで。