星の読み方

星の観方・・ホロスコープの読み方、なんていうのは・・

 

「自分のホロスコープは知っているけれど、わたしは読めない」

 

・・読み方なんてあるのかな?って僕は、そういう声にふと、思ってしまう。

 

読み方は自由だ、と思う。ホロスコープの円を観るのは瞑想に近い・・瞑想そのもの、と言ってもいい。円をみつめ、降りてくるインスピレーション・・そのインスピレーションは人によって異なるはずだ。みんな違ってみんないい・・金子みすゞ・・でいい。

 

それは、当然のことなのだ・・人は波動を持つ・・人そのものが波動、だと言っていい。その人の波動に合う波長がインスピレーションとして降りてくるのだ・・波長に包まれる、と言ったほうがいいか。

 

読み方に、マニュアルなどないのだ。あるいは、マニュアルがあるにしても、そのマニュアルに則るとしても、人によって、その読解の伝え方は異なる。マニュアルがあるにしても、それを読み、そして伝えるのは「自分」という波動なのだ。

 

とは言っても、僕はもともとは「マニュアル」で星読みの勉強をした。高額の通信教育料を払い・・その教育機関(今はない)は機関認定の西洋占星術師の民間資格を設けていた。「通信教育料、資格取得、そして職の斡旋まで、コミコミですよ」とその機関の人に言われた。

 

へー・・そうなんだ・・と思った。支払った。30万くらいだったかな?

 

一通り、カリキュラムが終えて、通知が来た。「あなたなら、資格試験、受かりますよ。受験料1万円です」みたいなことが書いてあった。

 

1万円?

 

コミコミは?

 

受けなかった。すでに、ブースや路上で、占いは始めていた。斡旋してもらう必要もなかった。資格の必要性もわからなかった。

 

ただ、その教育機関のテキストは、良心的に理解しやすい、と僕は思った。市販の入門書は、大概、わけわからん。重箱の隅をつついてばかりで、概念として星読みの基礎を観念形成する、そういう発想の全く感じないものが多い。細かな「具体」を記憶蓄積するより、抽象概念の体系把握が先決だと、僕は思う。

 

漠とした抽象が、徐々に具象化されるプロセス・・「あらゆるエネルギーは物質化される可能性を持つ」と、たしかアインシュタインが言ってたように、ホロスコープ、そこに秘められたエネルギーを抽象的に感じ取り、それを「言葉」として具体化する・・ある意味、神の天地創造に等しい「星読み」が、本当の「星読み」なのだ。

 

だから・・それは、ある意味マニュアル学習のプロセスを踏まずとも、誰にでもできるはずだ。

 

ホロスコープの円を観る・・観てるとだんだん、何かに包まれてくる。その、漠としたものを言語表現することが、ある意味、星読みの神髄であって、アインシュタインの「エネルギーの物質化の可能性」を可能性に留まらせず現実化したことになる。

 

アリス・ベイリーも言ってるように、星読みは、マニュアルでなく「直感」なのだ。直感は誰でも持ってる。だから、ホロスコープは、誰でも読める。