波動、その共振性を高める、とは

すべてのものに、神性はある・・神性、それは、波動なわけです。波動の高いもの、人って身につけようとする、っていうの、ありますでしょ。

 

パワーストーン、とかね。僕は、左腕に、今は、長野善光寺の、青虎目の数珠と、川越成田山の不動明王の水晶数珠、くぐらせているけれど。

 

その石に応じた波動と、共振する・・波動、すなわち、霊なわけです。人の念・・良き念、悪き念、あるわけではなく、波動の差異がある。

 

たとえば、携帯とかスマホとかから発せられているマイクロ波・・波動、その量、っていう意味では、その機器、それぞれにあるのかも、だけれど・・身体に悪い、って言われている。悪い、っていうか、波動が低い、わけです。マイクロ波、低周波って言われているけれど、その低周波が人体に危害をもたらすのは、人体が、その低周波を、プラスのエネルギーに転換する力を持ってないから、なわけです。

 

その意味では、マイクロ波が、悪い、っていうわけではなく、人体が、対応できなくて、毒になる。

 

昔、ニーチェにハマったことあって、『ツァラトストラ』手塚富雄さんの訳が、やけに文学的で、良かったんですけれど。記憶を頼りに言えば、その本の中で、ニーチェ、超人を説いていて・・超人は、毒をも薬に変える・・どこかで、そういうこと、言ってた。

 

毒・・どうやって薬にすればいいのか・・人間関係のストレス、スマホなど、携帯のマイクロ波、放射性物質。

 

低位の、って言うのかな・・波動が、自分に蓄積される・・対応は、排毒か、その低位のものと共振して、その共振性を、高めるか・・なわけです。どっちがいいか・・どっちも、いいわけです。

 

神道なんかで、「祓う」っていう言い方、するけれど、その祓うは、払う、でもあり、解毒、あるいは、排除、になる。そして「清める」っていう言い方、あるけれど、その言葉のルーツは、「気を良くする」・・気・・これは、波動でもあり、霊でもあり、エネルギーでもあり、プラナでもあり・・同じものを指している言葉、と僕は解釈しているのですけれど、「波動を高める」・・それと同じ意味に、なる、と思っています。

 

断捨離っていうの、ありますね。まだ、流行っているのかどうか、知らないし、断捨離についての本、読んだこともないのですけれど・・断捨離は、祓う、の方に、なると思います。捨てる・・捨てたもの、それ自体の持つ波動から、解放される・・一時的に、かも知れないけれど、スッキリする。

 

そのものがあることによって、気を患う、とか、そういう状態から、解放される・・ある意味、対症療法として、有効・・

 

ただ・・世にある波動・・たとえば、捨てたものが持つ波動、それ自体は、この世から消えるわけではなく、捨てたことによって、自分と、距離ができた・・本当に、解放されたわけではなく、いつ、その波動が忍び寄るか・・そういうの、あります。

 

対症療法としては有効だけれど、根本療法ではないわけです。

 

毒をも薬に変える・・それが、根本療法になるわけで、それは、低い波動と共振しつつ、波動を高める・・

 

断捨離、っていうことに添って言えば、捨てるのではなく、そのモノが持っている波動と共振、あるいは、対話、ですね。対話しつつ、対話しつつ、対話しつつ・・

 

ひたすら、対話することによって、波動を高める、その糸口を、感知する。対話っていうのは、対象としてあるそのモノとの対話が、自分の内部との対話にもなる。

 

たとえば、泳ぎを知っていく、っていうのは、水との対話であり、自分との対話、でもある。その対話を通じての共振性の高まりが、今、白血病で大変だけれど・・池江さんみたいに、なれる。

 

プールの水を自分から断捨離していたら、ずっと泳げない。

 

プールの水に入る・・怖い・・怖いのは、水なのか、自分なのか・・怖いっていう感覚や感情・・それは、波動なわけです。その波動との対話・・かな。自分でもあり、水でもある、怖いっていう感覚、感情との、対話・・

 

ある意味、池江さんみたいになれなくても、対話、それを深める分、犬かきしかできなくても、水との共振性は、高まる、わけです。

 

原子力事業・・そこには、対話がない。

東京2020五輪・・対話がない。

 

利権ゆえの強行、ですよね。

 

対話なきものは、波動が低いわけです。