キャンプ

 

自意識・・見られる自分。

 

・・見られる自分のその中心には「無」がある。自意識とは「無」を覆うオーラだ。

 

炎は赤くも青くもオーラを放つ・・その中心は「無」だ。

 

「無」は無限につながる・・

 

ここ何年か、キャンプが流行っていて、コロナ情勢下の現在、東京の奥多摩は、まだ車が渋滞の日々、なのかな?

 

裸足で自然と触れ合うことは地球とつながること・・アーシングと言ったりもするけれど・・キャンプはアーシングの一つの実態と言える。

 

アーシングは、無になること・・あるいは、自分の中の「無」の発見=地球のエネルギーとの交流の実現。

 

ところが・・

 

アーシングに逆行するように・・赤の他人への対抗意識としての自意識が過剰に分泌され、どう見られるかを基準にした「自分らしさ」という形を作る「自意識オーラ」の色があふれるキャンプ場。

 

どっちが正しいのか・・どっちも正しいのか・・

 

どっちも正しいのだ。

 

どこでどう生きていても、自意識から解放されることはない。

どこでどう生きていても、自意識からの自由を求め、それを実現することはできる。

「自意識オーラ」を放ちながら、中心の「無」に没入、できる。