朱塗りの鳥居と白い狛狐

昨日は結婚記念日だったので、洗濯物を畳んでいる女房の背後に回って女房の肩を叩き始めたら「叩くのはよくない」と言われた。

 

揉むことにした。

 

「ガッチガチだな」

 

「たまに首が痛くなるんだよね」と言って、女房は首の右側を左手で触った。

 

「・・狐だな。稲荷神社、行った?」

 

「いやあ」

 

「伏見稲荷は?」

 

「・・随分前」

 

ま、行ったとして随分前、だろうな。女房と付き合って結婚して今日まで、女房が表向き、京都に行ったことはないのを僕は知ってる。裏向きは知らない。

 

「狐だな」と僕が言ったのは、女房の右肩から白狐がたなびいていたからで・・で、女房の肩を揉みながらその白狐を僕は自分に吸い込んだ・・頭が痛くなった。

 

僕を通じて、その白狐は浄化されるだろう・・されるといいな。されないうちは、僕にとどまるだろう。

 

 

「稲荷神社には行かないで」・・そう言われたことがあって・・それは、僕が敬愛する霊能の先生の言葉、なのだけれど・・すごく見えちゃう先生で、講談師みたいに矢継ぎ早な言葉が心地よい先生で、で、思いやり深くて・・尊敬している。

 

・・でも僕、行っちゃう。稲荷神社、参拝しちゃう。伏見稲荷も行ってみたい。

 

摂社・・神社あるいは仏閣の、本殿や本堂ではない境内の中の社や祠。稲荷神社は摂社として結構鎮座している。

 

朱塗りの鳥居と白い狛狐、そして祠・・そんな構図を見ると、「いかにも稲荷神社」を感じて、お詣りせざるをえなくなる。・・狛狐は白とは限らぬが。

 

朱と白・・微妙に色は違えど、紅と白、あるいは赤と白。

 

紅軍あるいは赤軍と白軍・・左翼(赤)と右翼(白)がその色それぞれを互いに際立たせながら、それでいて、共にいる、そのコントラスト。

 

「違えど共にす」的な、「譲らずとも共にある」的な・・なんていうんだろ・・暗くない対立っていうか・・「お互い繁盛していこうや」みたいな、音にならない賑やかさを稲荷神社には感じる。

 

その賑やかさに紛れ込んで、寂しさを慰めている魂(霊)が、稲荷神社には多いとは思う。で、「あ、この人に憑いてっちゃお」ってなったとき、その魂は参拝しに来た人に憑いてっちゃう。

 

憑かれる人はモテる人だ。

 

僕はモテる・・だから、霊能の先生は「稲荷神社は行かない方がいい」って僕に言った・・のだろう。

 

女房に憑いてた白い狐も、僕にスーッと入ってきた。狐の姿ではあるがそもそもは人間なのだ。

 

憑かれると、頭は痛くなるし重くなる。

 

僕に「痛さ」「重たさ」をもたらすその主を、僕はみつめる。ただ、じっとみつめる。

 

みつめていると、だんだん軽くなる。ゆっくり、軽くなる。

 

・・そういう感じです。