紙ゴミの日


時間に制約された社会生活というものが、幼き頃から苦手、というか、できない人間の僕、だった。

 

幼稚園バスの集合場所に、集合時間に間に合わず、走り去る幼稚園バスを見送ることはよくあった。

 

小学校の通学班は、僕を置き去りにして出発することは、当たり前になっていた。

 

この電車に乗れば高校の始業に間に合・・その電車をあえて見送り、駅のホームの端っこで、ぼーっと鉄柵にもたれかかって煙草をふかしながら、錆びたレールをただ見つめてたりするのが、好きだった。

 

あの頃の僕に比べれば、家庭ゴミの集積場所に、集積時間を守って出しにいく今の僕は、随分成長したと自分に思う。

 

今朝は紙ゴミの日、だった。昨夜、女房がまとめておいた紙ごみを、朝7時前に、僕は出しに行こうとした。ビニール紐で束ねられた段ボールをお姫様抱っこというか、平面持ちというか、駅弁スタイルというか、・・その平面化された段ボールの束の上に、新聞紙の束を載せて、玄関を出た。

 

家を出てすぐ・・道路を渡って少しだけ歩いたところに家庭ゴミの集積所はあって、・・?

 

あれ?今日は紙ゴミの日ではないのか?

 

家から道路に一歩踏み出して集積場所を眺めると、集積場所には、何も置かれていなかった。

 

(家の冷蔵庫に磁石で貼ってあるゴミ集積日程を確認しに行こう)・・そう思って、僕は体の正面を道路方向から反転させて、駅弁スタイルのまま、家の玄関に向かおうとした。

 

その僕の背中に、杖を突きながら朝の散歩をされているおじさんが声をかけた。

「あっちの方は出てましたよ」

 

その声に、再び僕は体を反転させて、「ありがとうございます」とお礼を言った。ゴミ出し一番乗りの今朝だった。親切なおじさんの声掛けが、僕に『いい朝』を感じさせてくれた。おじさんの声は、ゴミ出し時間という時間的社会ルールに適合することができている自分へのご褒美に思えた。

 

僕は、朝も昼も夜も夜中も、コーヒーを飲み続けるが、こんな朝は日本茶で、しみじみ『いい朝』の余韻を継続したい・・紙ゴミを手から離し、駅弁スタイルから解放された僕は、おじさんの背中を見送りながら、そう思った。

 

駅弁と日本茶・・

 

子どもの頃の家族旅行で、駅弁のお供に飲んだ、容器のプラスチックの臭いと味が完璧に混ざりこんだホットの日本茶が、僕は好きだった。

 

おしまい。

 

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