高尾山と肉断ち

こないだの・・今日より6日前・・2月9日だったけれど・・

 

2月9日は歯医者さんに行っていて、歯科医の先生が電動リクライニングの椅子に座って診察を待つ僕のところにやってくるまで、僕は考えていました。

 

・・今日は・・2月9日・・にく・・肉の日・・

 

2月9日が「肉の日」と世間で言われているのかどうかはその時、分からなかったのだけれど・・治療を終えて家に帰って、食卓テーブルに新聞広告のチラシ・・スーパーのチラシに『2月9日 肉の日』

 

今日はお肉の安売りでもしているらしい。そして今日は、やっぱり「肉の日」だったんだ・・そう思いました。

 

2月9日が「肉の日」ならば、月日を逆にした9月2日は何の日?

 

僕は去年の9月2日は高尾山に登っていた(高尾山は天狗だから、天狗はだめなんです、っていう方は、ごめんなさい)

 

登った薬王院で御護摩を受けてお札をいただき、さらに山頂まで・・大汗かきながらあえて水分とらず、たどり着いた山頂の売店で500ccの一番搾りを買い、「このために登ってきたんだよ」って気持ちでその缶ビールを飲み干し。

 

下山途中、琵琶滝のお不動様にご挨拶をし、その下山中は大粒の雨で・・雨具なしの僕はビシャビシャ。

 

麓のケーブルカーの駅の売店で高尾山Tシャツとタオルを買って売店の横あたりで上半身をさらして着替え・・リュックの中・・御朱印帳がビシャビシャ・・あーあ。

 

別に、車だから、服は濡れたままでも構わないっていえば、そうだったのだけれど・・麓の高橋屋で蕎麦を食べなきゃならないっていう義務に似た欲求があったから、服を構う必要がありました。

 

で・・

 

僕は高尾山に行く前の日の、少なくとも夕飯以降は肉断ちをします・・具体的には、四つ足断ち・・かな・・です。理由があって・・なんですけれど・・四つ足・・牛さん豚さん羊さん馬さんを食べない。

 

・・・・・

 

肉食の是非っていうのは、倫理的にも人智学的にも、どちらかと言えば非に傾く傾向があると思います・・

 

ただ・・食べたいのにその欲求を抑圧するのは不健康かな、とは思います。自然と求めなくなるっていうのなら、肉食に対して健康的な離れ方、だとは思います。

 

・・・・・

 

で、僕が高尾山に行く前に四つ足断ちするのは・・その理由は・・

 

高尾山が霊山だからです。で、高尾山に限らず、神社仏閣っていうのは、霊が集まる・・

 

高位の霊も低位の霊も、集まる・・

 

僕は結構、連れて帰ってきちゃうところがあって・・で・・僕は別に肉食を否定するわけではないんです。家の近所のお好み焼き屋さんの「豚玉天」はおいしいし、家から歩いて行けるところの焼肉屋さんのお肉は、食べると必ず「うめえ」って声が僕の口から洩れます。

 

ただ・・食べるんでも、供養の気持ちは大事かな、とは思います・・それと・・

 

そう・・霊・・連れてきちゃうところ、僕はあるんですけれど・・

 

霊が集まりやすい場、環境って言うのには、高位の霊もいれば低位の霊もいる・・高低で霊を差別するのは、いいのかどうか、っていうのはあると思うけれど・・

 

・・こういう言い方、お肉を生業の糧にされている方たちには失礼にあたるかも、とは思うけれど・・肉食は・・なんていうんだろ・・人間って、地球と太陽から恵みをもらってるっていう面があると思うけれど・・バランスとして地球からの恵みがお肉には強い、っていうんでしょうか・・

 

地球って、人間住んでるけれど、人間って、本当は誰のものでもない地上地下の財産に、所有権とかの権利を主張する利己主義が当たり前にあるけれど・・

 

地上地下への利己的利権的な意識に肉食は傾かせやすい・・で・・霊場には、そういう利己性から解き放たれた霊も、利己的物的な執着とかから離れられない霊も、いらっしゃる・・です。

 

で、僕自身には、物的な執着もあるし、そんな執着から解き放たれた、ある意味高位、って言われる霊的存在を僕に感応させたい、っていうのもある。

 

で・・中間にもってくっていうか・・高位も低位もいる霊場に行く前は、自分を中位にもっていく、っていうのかな。

 

で、霊を持ち帰るなら、あるいは、連れて帰るなら、高位も低位も、バランスよく・・

 

っていう意味で、、バランス整えるために、一時の肉断ち・・四つ足断ち、するわけです。

 

だから・・2月9日は「肉の日」で、9月2日は、肉断ちと高尾山の日・・去年は、ですけれど・・でした。